ふゆのはいまメモ

シューティングゲームをやったり、作ったり。

71日目 最高6面冒頭 6493990pts/『バトルガレッガとわたし』

プレイに関しては特筆する点特に無し。粛々と練習中です(笑)

以下、思い出話なのでちょっと長くなります。

 『バトルガレッガとわたし』

20年前、僕はソニーコンピュータエンタテインメント社のゲーム開発支援プログラム『ゲームやろうぜ』に合格、野心的なシューティングを世に出そうと悪戦苦闘していた。

プロトタイプで作ったゲームがパターン製の強い『覚えちゃえば簡単』系のゲームに仕上がってしまったのがどうにも納得いかず、どうやったら『飽きない』ゲームを作れるんだろうともがいていたのだ。

当時僕が理想として思い描いていたイメージに『生き物が入っているみたいに、こちらの入力に対して毎回違う内容の返答が返ってくるようなゲーム』というのがある。

ランダム性が強く、かといっていい加減ではなく…。名作『ザナック』の『AI』(あれはAIではなくテーブルだったそうだけど)の先を行くようなもの、プレイヤーとゲームがコミュニケーションして結果が残っていくようなものって出来ないものかと思っていた。

あと、キャラクターに関してもプロトタイプ版ではあまりに攻略パターンが一本調子だった反省があったので、例えば、ボスが多数のパーツの集合で表現されていて、そのパーツがそれぞれ階層化された構造を持っていて…みたいな事をしたかった。

僕がちゃんとしたゲーム開発者ならそれも出来たのかもしれないんだけど、当時の僕には大口を叩く割には実力が圧倒的に足りておらず、時間だけがじりじりと経過していった。

 

バトルガレッガが現れたのはその開発中。最初は『手堅いけど見た目が地味な新作』という印象だったが、パソコン通信(当時はインターネットはそれほど普及していなかったのだ)に集まる『玄人』や『業界人』の評が辛辣だった割にゲーセンに行くとプレイヤーの熱狂度がどんどん上がっていく現象が非常に面白く、『これは普通じゃないゲームなんじゃないか』いう確信に変わっていった事を今もはっきり覚えている。

札幌駅北口の『レタス』というゲーセンに友人がバイトしていた関係でガレッガの情報の多くはレタス界隈のゲーマーたちから聞いていたんだけど、『ランク』攻略に関する話の多くは『都市伝説かよ?』というレベルで、もうそのシーン自体が面白すぎる世界だった。

一方で同じゲームを開発していた仲間の多くはアーケードのシーンに深く関わってる訳でもなかったのでガレッガの面白さや特異な良さを中々飲み込めないようだった。(実際、後に出る怒首領蜂の方を圧倒的に評価していた記憶がある。)

この温度差ってなんだろう?というのがガレッガが僕に刻んだ傷(笑)の一つ。

そして、ゲーメストからバトルガレッガの攻略ビデオが登場する。あれを見ると狂気かと思うくらい細かい得点システム等が分かるんだけど、仕様を知れば知る程、僕がやりたかったような『生き物みたいなゲーム』にいち早く近づいたのがガレッガなんじゃないか?と思うようになった。

もう一つ刻み込まれた傷はクオリティの高いグラフィックだ。一見地味な渋いグラフィックには作り手の情念みたいなものが刻まれてる感があった。

バトルガレッガのエンディング、印象的な青空をバックに流れるスタッフロール。グラフィックを担当したらしい

S_YAMAKAWA

の文字に妙な胸騒ぎがあった。

その時点では違和感程度だったのが、後にリリースされた蒼穹紅蓮隊のスタッフロールを見て『やっぱりあのヤマカワくんだったのか!』とひっくり返る事になる。

 

僕が最初にゲーム業界で職を得たZOOMという会社が北海道の札幌にある(あった)。

ヤマカワくんは僕が入社する直前に入社した同期の先輩なのだった。(先輩だけど歳は僕のひとつ下)僕らの在職期間はそう長くない。ヤマカワくんは当時開発していた『ジェノサイド2』がリリースされる前にもう会社を辞めていたと記憶している。

ヤマカワくんは実家が関東なので、会社を辞めて実家に帰ってしまうと連絡する術も無くそのまま縁が切れてしまっていたのだった。

ヤマカワくんのノートには真っ黒く書き込まれたキャラクターが沢山描かれており『僕はメカよりもキャラを描きたいんですよ』と言っていた。でも仕事は延々メカ・ロボットをドット絵で作る仕事だったから意に沿わなかったのかな、くらいに当時は思っていたのだ。

だから、ガレッガのあのオイルと鋼鉄の世界をヤマカワくんが作り上げた事に妙な驚きがあった(笑)ガレッガのグラフィックを見て、作者を知っていて、こういう驚き方をしたのは世界で僕だけだろう。『メカ描きたくないって言ってたのにこんなに沢山描いたのかよ!』と(笑)

とにかく、ほぼ同期の知人に『いい仕事』をされた敗北感は中々のものだった。こうして、20年近く僕は『ヤマカワくん』の事を意識することになる。

再会は2013年、エイティング社の外山雄一さんからのオファーで、ある仕事をした際に実現する。面談中に脇道に逸れたのをいい事に僕が外山さんに『ガレッガ蒼穹紅蓮隊のスタッフロールに出て来るヤマカワさんってZOOMにいた事がありますよね?』と聞いてみたのだ。

『ヤマーですか?そういやZOOMにいたって話がありましたね』『ヤマーはフリーでやってるんだけど、今ウチで働いてくれてるんで今度会わせましょうか』という話になり、再会を果たしたという訳だ。

こっちは一方的に『あのガレッガをやった』とか色々と腹に積もったものがあったんだけど、ヤマカワくんはほぼ知らない人がいきなり数十年ぶりに現れてびっくりしたと思う。

それから、たまにあって呑んだりする関係になって現在に至るのだった。

今夜は今年に入って初の飲み会だったので、今遊んでいるガレッガについて結構ディープに話をしてきた。この辺の面白話は今後この日記で出せる範囲で出してみようかと思う。

グラフィックのヤマカワくん、プログラムのYGWさん、サウンドの並木さんとそれぞれ仕事をご一緒した事が僕のキャリアにおける誇りの一つなんだけど、考え方によっては僕の20年は結局ガレッガの周りをまわっていた20年だったのかよ!と憤慨しなくもない(笑)

でも、こんな面白い縁を放置しておくのはもったいないので、どうにかしたいなぁと考える次第だ。